遠藤響子 35周年のテーマは「WILD FLOWER」『GOLDEN☆BEST』がロングセラー中!



取材・文/長井英治 公開日:2016.08.29

 

1981年、筒美京平作曲の「告白テレフォン」でアイドル的なイメージでデビューをした遠藤京子(現在は遠藤響子) 。今年デビュー35周年を迎え、3月28日に『遠藤京子 GOLDEN☆BEST Limited もう一度会いたい 1988-1995(+’15)』を発売。ロング・セールスを記録している。誰のご機嫌も取らずに自分の意志で咲くワイルドフラワーをコンセプトにした、35周年特別企画イベント「WILD FLOWER」を開催中の遠藤響子に各時代について、語っていただいた。

 

--遠藤さんは今年35周年を迎えられるわけですが、所属していたレコード会社ごとにはっきりと区分ができてしまうという、面白い活動をされてきたアーティストです。1981年にデビューをした時の所属していたレコード会社は、ビクターだったわけですけれど、最初はシンガー・ソングライターでありながらアイドル的売り出し方をされていたんですよね。

 

遠藤:最初にビクターでデビューすることが決まって、当時ビクターと言えばアイドルだったわけですよ。私は1981年10月デビューの予定だったのですが、ビクター一押しの松本伊代さんのデビューが10月に決まり、私デビューは翌月に延びてしまったんです。つまり私は「花の82年組」デビューだったわけですよ(笑)。でも、桑名正博さんや、りりィさんを世に送り出した、寺本幸司さんがつくった事務所に所属していたので、アイドル性よりもアーティスト性を求められたみたいです。

 

--デビュー曲「告白テレフォン」は筒美京平さん作曲の楽曲に、遠藤さんが詞を書いた名曲ですよね。

 

遠藤:筒美京平さんの曲に、新人の女の子の詞をつけて世に送り出すなんて、当時は相当異例の事だったと思います。京平さんが「この子は何かストーリを持っているから、詞を書かせた方がいい」と言ってくださったそうです。

 

--「告白テレフォン」ってすごく難解な曲じゃないですか。

 

遠藤:今年開催している「WILD FLOWER」というシリーズのコンサートがありまして、(5月に開催された)ビクター編の譜面をおこしている時に、「告白テレフォン」のコードがテンションだらけで、「これはジャズじゃないか!」ということに今さら気付きまして(笑)。ビクター時代の曲を今回コンサートで改めて歌ったわけですけれど、まったく古びていない事が解りました。

 

--3枚目のアルバム『夢見るスター』(1985年)は、遠藤さんの代表作でもありますよね。 「雪が降る前に」や「輝きたいの」というヒット曲も生まれたわけですけれど、このあたりはだんだんアーティストっぽくなってきた時期でしょうか。

 

遠藤:当時は業界のシステムのようなものをよく理解していなくて、ここにいる人は何をするためにいる人なんだろう? とかそういう事がよく解らなかったんです。今なら「ありがとうございます」と感謝できることも、当時は出来ていなかったように思います。

 

--音楽活動の傍ら、女優業もやっていましたよね。

 

遠藤:ドラマ「3年B組貫八先生」には月代早苗という先生役で1年間出演しました。共演している川谷拓三さんから「女優なの? シンガー・ソングライターなの?」とよく突っ込まれていました(笑)。ドラマのプロデュ―サーだった柳井満さんはミュージシャンをドラマのキャストに抜擢するのが好きな方だったんですよね。

 

--ビクター時代は1981年~1985年の活動でしたが、ソニーに移籍してアルバムをリリースするのは1988年になりますが、このブランクの期間の事を伺いたいのですが。

 

遠藤:ホントにのんびりしていて、新作を出そうとはまったく思っていなかったんです。2年くらいフラフラしていて、そんな時にキティミュージックの方が声をかけて下さって移籍が決まったんです。この時は事務所が決まってからレコード会社が決まったという、デビューの時とは逆のパターンです。

 

--ソニー時代は2枚のアルバム『Girl life』『サバ・エ・トワ?』をリリースしていますが、フレンチな雰囲気でオシャレなアルバムですよね。

 

遠藤:ソニーのアルバムは久保田利伸さんをブレイクさせた稲葉竜文さんがディレクターで、独自の世界観を作り込むのがとっても得意な方でした。

 

--ソニー時代というのは遠藤さんにとってどんな時代でしたか?

 

遠藤:当時はディレクターをプロデューサーと呼ぶようになっていた時代で、遠藤京子というアーティストの中にある可能性を引き出してもらいました。ビクター時代は、アイドル的要素もありましたが、ソニー時代は完全にアーティストとして扱ってもらいましたし、歌詞やシチュエーションも話し合って、良く練って作っていました。

 

--今年2016年に発売になった、『GOLDEN☆BEST Limited もう一度会いたい 1988-1995(+'15) 』には遠藤さんのソニー時代の作品とファンハウス時代の作品を中心に収録したベスト・アルバムになりますが、選曲の基準はどこにあったのでしょうか。

 

遠藤:現在も歌い続けられる曲、ライブでお客様に披露したい曲を中心に選曲しました。アレンジが好き、歌詞が好きという部分も選曲のポイントです。

 

--遠藤さんの詞の世界って、まったく古くならず普遍的な部分が多いですよね。

 

遠藤:デビューする前から、自分は長持ちしたいという気持ちはどこかにあったのかもしれません。私は子供の頃に親しんだ音楽が映画音楽だったんですね。私の大好きな「太陽がいっぱい」の音楽ってとても普遍的だと思うんです。いつ聴いても胸がキュンとする気持ちってきっと普遍的なんだろうな……と。

 

--ソニー時代のアルバムはフランス映画を観た後のような気持ちになる世界ですが、特に思い入れの強い曲はなんでしょうか。

 

遠藤:「It's gonna rain today」「HI HI HI」の2曲です。「一人ぼっちはすべての始まり」は今回改めて、「なんて名曲なんでしょう!」と思った1曲です。

 

--ソニー時代は約2年の活動だったのですが、その後ファンハウスに移籍したのが1991年ですよね。また2年のブランクがありますが(笑)。

 

遠藤:またそこでフラフラしてたんですね、特に焦ることもなく。性格的なものなのかもしれませんが(笑)。

 

--ファンハウス時代はかなり大きな打ち出し方で、遠藤さんが宣伝されていた記憶があります。渋谷のオーチャード・ホールの地下にあったスタジオでアルバム『冬の庭』(1993年のアルバム)の試聴会が遠藤さんを交えて行われたのですが、当時は音楽業界がバブリーでしたよね(笑)。

 

遠藤:当時ファンハウスはコンベンションなど度々企画してやって下さいました。

 

--僕は個人的に、ファンハウス移籍第一弾シングルだった「愛を与えられないまま」で遠藤さんの大ファンになりました。

 

遠藤:私の声はとても特徴的だし、高音もそこまで出るわけではない、いわゆる「アジア系の喉」なんですね。この声で言葉を届けるにはどんな世界がいいのか? と考えた時に出てきた答えがテレサ・テンだったんです。歌謡曲ではあるけれど、ど歌謡ではない。言葉が立っていて染みて来る世界をやってみようとトライしたのが「愛を与えられないまま」でした。萩田光雄さんのアレンジもとっても素晴らしかったんです。

 

--遠藤さんにとってファンハウス時代はどんな時代でしたか。

 

遠藤:今回このベスト・アルバムがリリースされて改めて思いましたが、ファンハウス時代は京子時代の金字塔ですよね。サウンド的にも予算的にも、若さならではのアグレッシヴさ含めて、今はもう出来ないだろうな……と思います。当時のプロデューサーだった、金子文枝さんの功績はとても大きかったですね。

 

--金子(文枝)さんは、永井真理子さんや辛島美登里さんをブレイクさせたヒット・プロデューサーでしたね。

 

遠藤:文枝さんのプロデュースはとてもやりやすかったです。曲のダメ出しもされた事はないですし、細かい事は一切言われないんですが、いざ音源が出来上がってみると見事に「文枝さん色」に染まっているという。ボーカルの最終的なエディットは文枝さんが選んでいたので、そういうセンスのある方だったんだと思います。

 

--遠藤さんはファンハウス時代のあと、プライベートレーベル「Pure Mode Records」を設立して、現在に至るわけですよね。

 

遠藤:今、35年目にしてやっと自分のやりたいように音楽を出来ている実感があります。

ここに来るまでに35年かかったという感じです。何の準備もなくデビューしてしまったわけですから、そう考えると当然のようにも思えますけど(笑)。サウンドスタイルがその時代ごとに変わっていくのも、以前は引け目に感じていたんですが、それすらも私の個性なんだと、今では思えるようになりました。

 

 

--今年発売になりました『GOLDEN☆BEST Limited もう一度会いたい 1988-1995(+'15)』にはボーナストラックが収録されますね。

 

遠藤:NHK-FM「細野晴臣の作曲講座」(1984年1月5日放送)で細野さんと番組用に作った「オー・ミステイク」という曲です。私が作詞をして、細野さんが作曲をして、私が歌っている貴重な音源です。おそらく、YMOが解散する直前だったと思いますが、アルファのスタジオで収録をしたのを覚えているので、この曲もYMOのエンジニアの方だったような記憶があります。

 

--この曲はのちに、松本隆さんの詞になり、松本伊代さんが「月下美人」という曲でシングル発売したあの曲ですよね。

 

遠藤:私の詞が採用にならなかったのは残念でしたが、今回この音源がこうやって世の中に出て良かったと思います。もうこれ以上思い残すことはありません(笑)。今回、この音源を収録するにあたり事務所の方に連絡をしたら、細野さんも当時の事を覚えていて下さって、ブックレットにメッセージをいただきました。当時の私は怖いもの知らずというか、細野さんにタメ口でしゃべっていたんですよ(笑)。でも細野さんは、そんな私を面白がって、とても可愛がってくれました。

 

--NHKBSプレミアムのドラマ『徒歩7分』(2014年放送)のエンディング・テーマ「もう一度会いたい」が収録されているのも嬉しいですね。僕は個人的にこのドラマを見ていたので余計に嬉しいです。

 

遠藤:ドラマの音楽を担当した冬野ユミさん方が、私の声をぜひ使いたいと言って下さって参加することになりました。私の声も音楽の一部という事で使われたので、クレジットに私の名前は出なかったんです。

 

--とてもステキなドラマだったんですが、音楽が素晴らしかったですよね。

 

遠藤:私の歌がドラマの一部として使われていて、しかもきちんとドラマにはまっていたのがとても嬉しかったです。脚本が「向田邦子賞」を受賞したのも頷けるドラマです。

 

--そして今年35周年を迎える遠藤さんですが、現在「WILD FLOWER」というシリーズのコンサートを開催しているんですよね。

 

遠藤:あまりにも多くの楽曲が存在するので、4回のテーマ別に分けてコンサートを開催することにしました。5月が「ビクター編」、7月は「ソニー・ファンハウス編」、9月は「Pure Mode」編、11月は「Future」編として開催します(※5月、7月の公演はすでに終了)。

 

--最後に、35年を振り返りつつ、読んでいるみなさまにメッセージをお願いします。

 

遠藤:私はこれまで、自分に対して素直に生きてきた方だと思っています。ですので、私が20代の頃に作った歌を、今20代の人に聴いて欲しいなと思いますし、30代の頃に作った曲は30代の人に聴いてみて欲しいんです。そして、今作っている曲は、同世代を生きている人たちに共鳴して欲しいと思っています。今年やっている「WILD FLOWER」は4回もあるし、さぞかし大変だろうから、来年はお休みしようかなと思っていたんですが、意外にそうでもなくて(笑)。「仕事は忙しい人に頼め」という言葉があるんですが、こうして自分がいい感じで回転している時に、この勢いで来年も頑張ろうと思えています。来年の遠藤響子にも是非期待していて欲しいと思います。