歌謡曲リミテッド スペシャルインタビュー岩崎宏美   デビュー39周年!ファンへの感謝の気持ちを込めたシングル「Thank You!」



今年デビュー39周年を迎えた岩崎宏美。5月21日に「39(サンキュー)・イヤー」をテーマにした「Thank You!」をリリース。通常、アニバーサリーイヤーはキリのいい40周年とするところだが、あえて、39を「Thank You!」にかけて一年早いアニバーサリーを祝している。同曲はお互いがファンであるという斎藤誠の書き下ろし。久しぶりにアップテンポでポップな曲調、彼女の歌声を生かしたメロディアスな楽曲であるところに二人の相性の良さがうかがえる。そんな40周年に向けて精力的に活動を続ける岩崎宏美に、新曲の話はもちろん、デビュー当時の貴重な話まで伺うことができた。

 

--デビュー39周年、おめでとうございます。って39周年というのも、なんか半端な感じがしますよね(笑)。

 

岩崎:そうなんです。レコード会社的には今年から40周年イヤーという気持ちだったようなんですが(笑)。

 

--でも、そこが宏美さんぽい。

 

岩崎:私の夫が「39(サンキュー)イヤーというのは一生に一度しかないんだから、ここでお祝いしなきゃもったいないよ! 39周年は感謝の年なんだよ」と言ってくれた一言が大きなきっかけです。

 

--なるほど!ご主人からのアイデアなんですね。でも、39年間活動していないと、お祝いできなせんもんね。ということで、記念シングル「Thank You!」が5月21日に発売されたわけですが、このタイトルはその時から決めていたんですか。

 

岩崎:「Thank You!」は私自身が大ファンでもある、斎藤誠さんに作詞・作曲・編曲をお願いしました。これは、ファンの方への感謝の思いを込めた曲で、コンサートで一緒に盛り上がれるポップで楽しい曲にしていただきたい、ということを誠さんに伝えて作っていただきました。

 

--斎藤誠さんとはどのような経緯でお知り合いになったんですか。

 

岩崎:以前、斎藤誠さんのラジオ番組にゲスト出演したことがありまして、その番組内のコーナーで一緒に歌ったことがきっかけです。私の出演が終わったあとに、誠さんが私のデビュー曲「二重唱(デュエット)」をギター1本で歌ってくれたんです。それをオンエアで聴いて、誠さんの素敵な歌声にうっとりしてしまったんです。その後すぐに誠さんCDを買いまくって、特に『POP ROCK SHOP』(2008年)というアルバムが大好きで……。今では、私の車に乗る人は必ず斎藤誠さんの音楽を聴くことになります(笑)。

 

--誠さんとはそれまでは面識がなかったんですか。

 

岩崎:ビクタースタジオでレコーディングのとき、別のスタジオで桑田佳祐さんがレコーディングしていると、よくスタジオに遊びに行っていたんですが、実はそのときに対面していたそうなんです。

 

--誠さんといえば桑田さんですもんね。

 

岩崎:私が桑田さんに会いにいったとき、誠さんは固まっていたという(笑)。

 

--誠さんは宏美さんのファンであったと。でも宏美さんがそこまで、特定のアーティストにハマるのも珍しくないですか。

 

岩崎:大人になってから、初めてかもしれないですね。それで昨年、誠さんのバースデーライブを見てさらに熱烈に大ファンになってしまい(笑)、昨年リリースになった私のオリジナル・アルバム『LOVE』に曲を書いていただきたいとお願いしたんです。そのとき、誠さんはとてもお忙しかったので「曲だけだったら書けます」と言ってくださったんですが、「ぜひデュエットをしたいんです」と言ったら「じゃ詞も書きます」ということになり(笑)、アルバムに「抱きしめてよ、ミラクル Duet with 斎藤 誠」という形で収録することができました。

 

 

--30周年以降は、「バラードシンガー岩崎宏美」というイメージが強かったと思うんですが、ここまでポップな曲はシングルでは久しぶりですよね。

 

岩崎:ホントにここまでポップな曲は何年振りなんでしょう? 久しぶりに振りもつけてもらって、アイドル時代に戻ったつもりで……。戻れなんですけどね(笑)。でもこの曲は振付があって、会場のお客様とみんなで一緒に歌えるフレーズもあるので、私自身も楽しんで歌っています。

 

--レコーディングはいかがでしたか。

 

岩崎:レコーディング中は花粉症がひどくて喉の調子が今ひとつだったんですが、誠さんが私をうまく乗せてくださったので気持ちよくレコーディングできました。

 

--シングルのカップリングに収録の「歌になりたい」はCMソング「揖保の糸」で集中オンエアですね。

 

岩崎:昨年は、中村 中さんに書いていただいた「時の針」が流れていたんですが、今回この「歌になりたい」もデモテープの段階から気に入っていただけて、今年も起用していただくことになりました。

 

--せっかく39周年ということですので、デビュー当時の話を聞きたいのですが。よろしいでしょうか。まず、宏美さんは当時人気のオーディション番組「スター誕生」がきっかけでデビューすることになったんですよね。オーディションを受けるきっかけは何だったんですか。

 

岩崎:小学校2年生のときから歌を習っていたんですが、中学2年のとき、私と同い年の森昌子さんがデビューしたんです。そのときに、「子どもでも歌手になれるんだ!」ってすごく驚いたんです。それで、私もオーディションを受けようと思ったことがきっかけです。私は「スター誕生」の審査員をされていた松田トシ先生に歌を習っていましたので、先生に「私も「スター誕生」のオーディションを受けたいんです」と伝えると、先生は「あなたが歌いたい歌をお持ちなさい」と言ってくださったので、何の曲か忘れましたけど、桜田淳子さんと小林麻美さん、それと小坂明子さんの「あなた」を先生の所に持っていったんです。松田先生は「あなたには「あなた」がいちばん合っているんじゃない?」と言ってくださって、「スター誕生」のオーディションを受けることになったんです。ハガキを持って有楽町のそごうデパートの上にある読売ホールへ行きました。私のオーディション番号が427番だったのを今でも覚えています。最終的にテレビに出演できる7人が選ばれるんですけど、そこで7名の中に選んでいただきました。その後、決戦大会に出場して「あなた」を歌って合格するんですが、それが高校1年生のとき。それで次の年の春にはデビューしていました。

 

--デビュー曲「二重唱(デュエット)」は早々にスマッシュヒットを記録して、2枚目のシングル「ロマンス」がオリコンチャートで1位を獲得するわけですよね。

 

岩崎:「スター誕生」って放送の1か月くらい前に収録をするんですけど、この「ロマンス」は収録日の前日までレコーディングをしていたんです。「ロマンス」のB面の「私たち」と、どちらをA面にするかさえ決まっていなかったんですよ。次の日の収録に向けて、どちらをA面にするか決めなければいけなかったので、ビクタースタジオの踊り場で、阿久(悠)先生、筒美(京平)先生、ディレクターの笹井さんと事務所のスタッフと私と7人で、多数決で決めたんです。

 

--すごい話ですね。

 

岩崎:当時は朝の番組が多くて、モーニングショーのような番組で歌うことも多かったので、キーの高い「私たち」を朝から歌うのはちょっと大変だなと思って、私は「ロマンス」に投票しました(笑)。筒美先生は「~あなたお願いよ 席を立たないで 息がかかるほどそばにいてほしい~」という歌詞は16歳の女の子には、色っぽ過ぎるという理由で「私たち」に入れ、阿久先生は「宏美くんが歌うと、色っぽい歌詞も爽やかに聞こえる」という理由で「ロマンス」に入れたんです。結果1票差で「ロマンス」に決まりました。その日の夜中に振付の一の宮はじめ先生の所に行って、まだ歌もちゃんと覚えていないのに振りをつけることになったんです。本番では、歌を完璧に覚えていないので(笑)、2回もNG出してしまったことを今でもはっきり覚えています。

 

--「ロマンス」が全国区のヒットだったということは、宏美さん自身、実感はありましたか。

 

岩崎:最初は実感があまりなかったんですけど、私が通っていた高校の堀越学園は、最寄り駅の中野から学校まで15分くらい歩くんです。その途中にパチンコ屋さんがあって、そこから「ロマンス」が流れて来たときに、ヒットを実感しました(笑)。あの頃は、イヤホンをつけて音楽を聴くという時代ではなかったですし、テレビやラジオ街中など、至る所から音楽が聞えていた時代でしたよね。

 

--いい話ですね。3枚目のシングル「センチメンタル」(1975年)もオリコンチャートで1位を記録した大ヒット曲になりましたが、翌年の選抜高校野球の入場行進曲として使われました。この曲は何か思い出はありますか。

 

岩崎:忙しい合間を縫って、甲子園に入場行進を見に行ったのを覚えています。堀越学園の制服を着て行ったんですよ。

 

--そもそもこの曲は「センチメンタル」というタイトルではなかったんですよね。

 

岩崎:当時、デパートの屋上で「ロマンス占い」というキャンペーンをやったときに、行列ができる人気の占い師の先生に、ビクターの部長さんが「この子今度新曲を出すんですけど……」と言って占ってもらったんです。その占いの先生が「この子は3曲目まで、カタカナのタイトルの歌のほうががいいですよ」とおっしゃったので、もともと決まっていた「感傷的な17才」というタイトルを、阿久先生にお願いして「センチメンタル」に変えてもらったんです(笑)。

 

--それもまたユニークなエピソードですよね(笑)。そして見事大ヒットになったという。

 

岩崎:当時、ビクターというレコード会社は「~シリーズ」というのが好きだったんですよ。私は「爽やかシリーズ」の第3弾で、1弾は麻丘めぐみちゃん、2弾は桜田淳子ちゃんでした。だから「センチメンタル」も「カタカナシリーズ」ということでね……。のちに、草花シリーズ(「恋待草」「すみれ色の涙」「れんげ草の恋」)というのもありましたけど(笑)。

 

--当時はとにかくテレビをつければ宏美さんが出ているという状況だったわけですけど、スケジュールはかなりハードだったのではないですか。

 

岩崎:そうですね。テレビは毎日のようにありましたし、けっこうハードでした。一度だけ、新聞の取材中に寝てしまったことがあって、おそらく1分くらいだったと思うんですけど。ハッと気が付いて、「ごめんなさい」と言ったら「大丈夫ですよ」と温かくおしゃっていただいたことは忘れませんね。読売新聞の方だったと思います(笑)。

 

--そうとう疲れていたんでしょうね。あとは何か当時のエピソードはありますか。

 

岩崎:デビュー2年目に、ある音楽祭で新人の方にお祝いの花束を渡すという役目があったんです。その日は夕方までに中野サンプラザに入ればよかったので、昼間母と横浜の元町までお買い物に行ったんです。その帰り、母の運転する車で会場まで移動中になんと車が壊れてしまって……。でも、どうしても中野サンプラザに行かなくてはならないから、高速道路を降りて、ヒッチハイクをしたんですよ。でも、私が手を挙げていると「ドッキリカメラ」だと思われて、どなたも止まってくれなれないんです(笑)。

 

--それはドライバーも驚きますよ(笑)。

 

岩崎:やっと、通りかかった女性に乗せていただき、見事に本番には間に合いましたけど。

 

--忙しかった時代のことは意外に覚えているもんですか。

 

岩崎:当時インタビューで「1日が24時間ではなく、25時間あったら何をしますか?」という質問に「そんなことになったら、また仕事を入れられちゃう!」って答えたことがありました(笑)。でもとっても楽しかったですよ、学校も楽しかったし、電車の中で寝ていても堀越の制服を着ているから見知らぬ方が起こしてくれたり。

 

--なんだかほのぼのしていていい時代でしたね。

 

岩崎:駅とかでも、女の子のファンは気さくに話しかけてくれるんですけど、男の子のファンは遠くから黙って見ているだけでしたね。私のファンはおとなしい人が多かったんですよ。コンサートにもひとりで来る人が多くて、友達同士では来ないんです。私は踏絵じゃないのよ!(笑)。

 

--代表曲のひとつ「シンデレラハネムーン」(1978年)曲は、コロッケさんの物まねで違う広がり方をした曲でもありましたよね。

 

岩崎:うちの息子がコンサートを観に来てくれたとき、「この曲はすごくサウンドがカッコいいよね」と褒めてくれたんです。当時、洋楽好きだった私は、自分でも「筒美京平さんのサウンドってなんてカッコいいんだろう」と思いながら感動して歌っていたので、息子からの感想がとても誇らしい気がしました。

 

--「シンデレラハネムーン」は振付も激しいですよね。今でもコンサートでは振付もしっかりされて。

 

岩崎:私の曲の中ではもっとも振りが激しいんですが、「シンデレラハネムーン」は曲と振付が一緒に自分の中に入っているので、振付けがないと歌えないんですよ(笑)。

 

--あと、宏美さんの代表曲に「聖母たちのララバイ」(1982年)という名曲があります。宏美さんのコンサートでは必ず歌われる曲ですよね。今改めてこの曲について伺っていいですか。

 

岩崎:この曲は32年歌っているんですけれど、毎年どんどん気合いが入ってくる曲です。今の日本は元気がないので、この曲は聴いてくださっている方の大きな力になっているんだろうな、と実感しています。

 

--宏美さんこの曲を歌っているときはまだ23歳だったんですよね。

 

岩崎:23歳って言ったら、自分の息子と同じくらいの年齢なわけですよ。そんな若い私に、こんなに壮大なテーマを書いてくださった作詞家の山川啓介さんに頭が下がります。

 

--ところで、最近の歌謡曲の再評価について、宏美さん自身感じることはありますか。

 

岩崎:私は歌謡曲の骨組みがしっかりできている時代に歌手になったので、基礎ができている多くの歌に触れてきたんだ、ということを改めて感じます。最近の曲はカッコいいんだけど、言葉の途中でブレスを入れたり、歌詞がメロディの途中で区切れてしまったりということが多いので、すごく違和感を覚えます。時代が変わったんだなと思いつつ、もう少し日本語を大切にした曲があってもいいんじゃないかなって思うんです。

 

 

--最後に今後のご予定を教えてください。

 

岩崎:いま、私のカバーアルバム・シリーズ『Dear Friends』の第7弾をレコーディング中です。第6弾は私の敬愛するさだまさしさんの曲をカバーしたアルバムだったんですが、今作は阿久悠さんの作品をカバーしたアルバムになります。歌手・岩崎宏美を作ってくださった阿久悠さんは私にとってかけがえのない存在なので、40周年に向けてアルバムのテーマに選ばせていただきました。先生もきっと喜んでくださっていると思います。

 

--それは楽しみですね! 「Dear Friends」を今まで6枚リリースされてきましたが、カバーを歌うことで何か発見のようなものはありましたか。

 

岩崎:岩崎宏美という名前が、ある時から大きくなりすぎてしまって、作家の先生も構えすぎてしまった部分があったと思うんですね。そういう意味では、カバーは自分のために書かれた曲ではないけれど、思い入れはがある曲ばかりなので、自分自身楽しんで歌えます。

 

--読者にメッセージをお願いします。

 

岩崎:みなさんのおかげで39周年を迎えることができました。これからもまだまだ歌う気満々ですのでこれからも応援のほうよろしくお願いいたします。