小坂明子 インタビュー



あの200万枚の大ヒット曲「あなた」から35年。まだ高校生だった少女の人生はこの1曲で変えられてしまった。その後、作曲家・編曲家として2,000曲以上を世に送り出し、ついに2006年、23年ぶりのオリジナル・アルバム『Pianish』をリリースし活動を再開。そんな小坂明子のヒストリーをここでご紹介!

 

--ピアノは3歳からはじめられて、ずっとそばにあったような存在だったんですか?

 はじめはまだピアノが無くて、オルガンしかなかったんですよ。家にピアノがきたのは5歳くらい。

--やはり小坂さんにとって鍵盤は無くてはならない存在のものですよね?

 そうですね。まぁ練習は大嫌いだったりしましたけどね(笑)。

--小さい頃からクラシックには親しんでいたのですか?

 父が作曲家でジャズ、ミュージカルや、CM音楽をたくさん手がけていたので、そのあたりの影響が大きいですね。

--そういう影響は受け継いでいる感じしますよね。

 お手本はそれしかなかったのかもしれないんですけどね。

--いつ頃からポップスへの興味が芽生えていったんですか?

 姉が10歳上で、兄が8歳上なんですけど、まさにビートルズ・エイジですね。それ以前にもラスカルズなど、家の中ではいろいろなポップスが飛び交ってましたね。

--じゃあ家の中では洋楽ポップスが頻繁に流れていたんですね?

 私は洋楽以外も好きでしたよ。トワ・エ・モアとか、赤い鳥とかね、フォークの走りっていうんですかね。あの辺りの音楽を中学3年、高校生くらいから聴き出しはじめて、いいなぁ、って思いました。それと、小学校4年生のときに『サウンド・オブ・ミュージック』を映画館で初めて観て、なんて素晴らしい歌声だろうって思って。歌に興味を持ち出したのはこの映画からですね。

--その頃から音楽界や芸能界への憧れはあったんですか?

 父の仕事を見ていたので、人に見られる仕事はいやだなって思ってたし、作曲も徹夜作業だし、絶対やりたくないって思ってましたね。芸能界ってお化粧とったら普通の人になってしまうっていう。だから絶対にスポットを浴びる仕事はしたくなかったんです。

--「あなた」という曲は授業中にノートの端に書いたというお話しは有名ですよね。当時、曲を作られたときの事って覚えてますか?何かのきっかけがあって作られたんですか?

 一番のきっかけは、私がガロの大ファンでガロに逢いたかったんです。その頃、父がポプコン(ヤマハポピュラーソングコンテスト)の審査員をやっていたんですよ。ポプコンの作詞・作曲部門というのがあって、そこに「歌手 ガロ希望」と書いて(笑)。もしかしたらガロが歌ってくれるかもしれない!と思って。

--そういう応募の仕方があったんですか?

 そうなんです。父に私の曲を聴かせると、親心としてあーだこうだ言われるの、イヤじゃないですか。だから、父には内緒で応募したんです(笑)。結果的には、ガロはギャラが高くてとても呼べませんって事になりましたが、「あなた」は最初から3部合唱で作っていて、完全にガロに歌ってもらうために作詞・作曲を初めてした曲なんです。

--それがご自身で歌われて、あんなにも大ヒットになってしまって!当時は、とても目まぐるしかったと思うんですけど、特に覚えていらっしゃることはありますか?

 第4回世界歌謡祭(1973年)で最優秀グランプリの受賞をいただいて、取材をいろいろ受けたんですが、受賞したのは普通の女の子って事で、住所や電話番号が全部メディアに出ちゃったんですね。

--そういうの出ちゃう時代だったんですか!個人情報が無い時代だったんですかね。それも凄いですよね。

 だから、手紙とか電話が毎日すごくて。電話番号書いてなくても、住所調べればわかっちゃうし。

--そのデビュー当時は、どういう活動を?

 デビューの日に「3時のあなた」という情報番組に出演したんですよ。世界歌謡祭の放送ってフジテレビなんですね。その頃は、グランプリを受賞すると必ず「ミュージックフェア」に出ることになってたりして。通っていた高校は、クラシックの学校なので、そういう芸能活動は駄目なんですよ。賞を取るところまでは、学校にしても非常に名誉な事だからって応援してくれてたんですけど、だんだん芸能界に入っていってしまったので、線引きが学校も出来なくなってきたんでしょうね。だんだん態度が冷たくなってきて(笑)。そのつど全部、学校の許可を得ないと出演できないので、すごく大変だったんです。

--30年以上経った今も「あなた」が歌い継がれているのって、どんなお気持ちですか?

 嬉しいですよね。バンバン歌ってもらいたいです。すべて知っているわけではないんですが、Charaさんにしていただいたカヴァーが一番好きです。原曲はこうだけど、彼女が歌ったらこうなんだっていうひとつの世界があって。あと、できるなら椎名林檎さんにも歌ってもらいたいですね。

--その後も、音楽活動は10年間続くわけですけど、その10年間って小坂さんの中でどういう時間でしたか?

 めちゃくちゃでしたね。なんにもうまくいかないっていうか。なんか解ってもらえる人に、出会えなかったんで。自分としては長い目で将来を見てちゃんと音楽をやりたいわけです。でも周りの人たちは、今が大切なわけでしょ?だから誰も私の事考えてくれないのかなって思いました。

--やっぱりデビュー曲であれだけヒットしてしまうと、その後に期待されるのも凄く大きいじゃないですか。

 200万枚をもう1枚、って言われたのが一番困りました(苦笑)。

--けっこう大変だったんですね。その後、転機が訪れた時期というのは、いつ頃なんですか?自分らしく音楽がやっていける時期って。

 それは、昨年(2006年)ですかね。シンガーソングライターをやめてから、20年間は作曲・編曲の仕事をしていましたから、自分の天職は作曲家だということはとてもよく解ったんですけど。その期間、自分の音楽は発信していませんでしたから。

--その20年間というのは、他の歌手に曲を書いたりとか、色んなCM音楽の作曲ですか?

 ほとんどアイドル歌手への提供曲と、ミュージカルとアニメソングですね。20年間で2,000曲くらい書きましたもんね。

--20年間、楽曲の提供だけををされていて、またご自身の音楽に回帰していくのが昨年。そして、23年ぶりにオリジナル・アルバム『Pianish』をリリースされましたね。

 実際に曲を書き始めたのは2001年からだったんです。これまで作曲家活動をしていて、自分の中で何か枯渇感のようなものがあったんですね。それは何なんだろう?と考えていた時に、自分からメッセージを伝えていない、ということだったんです。

--そしてアルバム発売後には、ライヴ活動も久しぶりに再開ということですよね?

 実際に久しぶりに人前でライヴをして、ステージがこんなに楽しかったんだ!と。

--ライヴでは、どういうステージ構成でやられてるんですか?

 7:3くらいで、3が歌です。後は、ピアノです。

--非常に変わった構成ですよね。

 しかもジャンルが無いってよく言われるんです。クラシックのようでもあり、でも歌もあるのでポップスでもある。そしてトークは、長屋のおばさんみたいなので、あはは!(爆笑)

--今年(2007年)も、5~6月にかけてコンサートを行いましたね?

 はい、生まれて初めてツアーというものを経験したんですよ。そのツアーで、どこにいっても自分が自分自身でいられるという事を再発見できたし、改めてピアノと向き合うことができました。ピアノって本当に難しい楽器だというプレッシャーになかなか勝てなくてですね。

--また、12月にコンサートのご予定がありますが、これはどういうコンサートになりますか?

 今回のツアーは、大阪、広島、福岡と、まだ行ったことのない会場ですね。そして東京では、デビュー35周年という事でやらせていただきます。この冬のコンサートは、ちょうど私の35年の集大成でもありますが、同時に次のアルバムに向けての架け橋にしたいと思っています。

--これからも数多くのライヴ活動がありそうですね。

 来年はもっとやりたいなって思ってます。昨年『Pianish』のCD発売と同時に、iTunes Storeでワールドワイド配信をしたのですが、スペインなどヨーロッパではニューエイジ部門で1位になったんですよね。自分でもビックリする出来事でした。でも、できれば次の新しい作品も海外で配信して、同じように評価してもらえるのであれば、ヨーロッパにもツアー行きたいな、って思います。